甲状腺疾患では特有の状態があり、ときに一般的な医学的な常識とは異なることがあります。甲状腺外来で診療していると、前に訪れた施設で説明をほとんど受けていないため、あるいは逆に説明をよくしてくれたもののどうしてよいかわからなくなって来院される患者さんも多くみられます。そこで、患者さんによく相談される内容について、私なりにコメントしてみます。詳細についてはそれぞれの患者さんで、病状や社会的な背景も異なりますので、近くの専門医に直接相談してください。
よくある相談
*以下のような相談がある方には、甲状腺専門外来( 手術に関係したことには、甲状腺外科の専門医)を受診することをお勧めします
1) ”甲状腺に腫瘍があります。良性と思いますが、悪性を否定できないので手術しましょう” と言われたが、本当に手術をしなく てはいけないものか?
2) ”大学病院や大きな病院で甲状腺に異常があるといわれて、CT,MRI,種々のシンチグラムなど多くの検査を1ヶ月以上かけて調べたものの、よくわからないので、このまま様子をみましょうと言われたり、専門病院へいくようにと言われ”、 心配している。
3) ”健康診断、人間ドックで甲状腺が腫れているという結果” であったが、どの病院のどの科に診てもらったらよいかわからない。
4) ”甲状腺機能亢進症、またはバセドウ病の診断でくすりを服用したところ、1ヵ月後にはたいへん調子がよくなったが、だんだん太ってきてしまい、くすりの副作用や経過に問題があるのかたいへん心配”。
5) ”橋本病と診断されていたのに、突然甲状腺機能亢進症といわれ、2ヶ月後には今度はひどい甲状腺機能低下症といわれるなど、甲状腺ホルモンの状態が変化する” ことがありたいへん心配。
6) ”のどの違和感があり、耳鼻科でも、内科でも異常なし” といわれたが重大な異常が隠れているような気がして、のどに存在する甲状腺に異常がないかたいへん心配している。
7) ”かぜをひいたと思ったら、のど仏の横に痛みのある硬いしこりができて、高熱、動悸、汗が多く、体重が急に減少するなど”という症状があって、どうなってしまったのか心配。
8) ”甲状腺がんと診断されたが、小さいものなので経過観察でよい?” といわれたが、”がん”なのに治療しなくてよいの??
9) 甲状腺の病気のために、遠方の専門病院に通院していたが、”とても通いきれない” のでどうしたらよいか?
10) ”甲状腺腫瘤やバセドウ病の手術を進められているが、手術の合併症のはなしを聞いて怖くなってしまった。” 甲状腺の手術はそんなに難しいの?
11) ”バセドウ病と診断されて、手術やアイソトープ治療を勧められたが、くすりの治療ではだめなの? 逆に、くすりではなく、手術やアイソトープ治療を受けたい希望があるのだけれど”、 どの治療を選んだらよいの?
12) ”バセドウ病、橋本病 (慢性甲状腺炎)と診断されて、治療を受けているけれど、いつまで治療が必要なの?”
13) ”甲状腺の病気があると、妊娠出産に問題があるの?”
14) ”甲状腺疾患の治療に使うホルモンのくすりの副作用は大丈夫?”
15) ”自分はバセドウ病ですが、娘もバセドウ病になるのですか? 甲状腺の病気は遺伝するの?”
16) ”甲状腺が少し大きいだけなので、心配ない” といわれたが、大丈夫なの? 今後どうしたらよいの?
17) ”甲状腺の病気があると、ヨウ素、ヨードを摂ってはダメ、海藻を食べてはダメ?” と本や週刊誌に書いてあったけれど、本当なの?
18) ”甲状腺がんで手術をしたけれど、甲状腺がんは性質がよいと聞いたので、もう放置してよいのですか?”
19) ”バセドウ病で手術したのに、また甲状腺機能亢進症、あるいは甲状腺機能低下症になってしまった。” 手術がうまくいかなかった、失敗したのでしょうか?
20) ”甲状腺疾患でくすりを長い期間服用しているのに、いまだに2週間、1ヶ月ごとに来院するように指示されています。もっと間をあけた診察ではいけないのでしょうか?”
これらの相談についてのコメント
1) ”甲状腺に腫瘍があります。良性と思いますが、悪性を否定できないので手術しましょう” と言われたが、本当に手術をしなくてはいけないものか?
もちろん甲状腺がんときちんと診断がつけば、原則的に手術をお勧めします。しかし、甲状腺のしこりのなかで、実際がんと診断されるものはまれで、ほとんどは良性の腫瘤です。甲状腺がんの5%程度には手術前に診断が困難な濾胞がんというタイプがありますが、90%以上を占める甲状腺乳頭がんは細胞診検査でほぼ確実に診断がつきます。甲状腺腫瘤に対して、”がんだったら困るでしょう”という手術の勧めかたは甲状腺腫瘤に対しては一般的ではないと思います。
2) ”大学病院や大きな病院で甲状腺に異常があるといわれて、CT,MRI,種々のシンチグラムなど多くの検査を1ヶ月以上かけ調べたものの、よくわからないので、このまま様子をみましょうと言われたり、専門病院へいくように言われ”、 心配している。
大学病院では教育的なこともあるためか??、多くの検査をはじめから行っているところもまだ多いようです。実際には甲状腺ホルモンなどの血液検査と甲状腺のエコー検査で大部分の甲状腺疾患の診断がつきます。その後、診断の難しい場合や腫瘤の周囲器官への影響をみる必要のある場合に追加的にCT, MRI やアイソトープ検査を行います。大きな病院ではCTをすぐに施行するようですが、甲状腺が大きいとか、しこりがありますねという以上の情報は少なく、甲状腺疾患の質的な診断の参考にはあまりなりません。また、いろいろ検査したのに結局診断がはっきりしないということであれば、よほど難しい病気ではないかと患者さんは心配してしまうでしょう。そのような患者さんを甲状腺専門外来で診ると、ほとんどの方は容易に診断がつくものです。そんなに心配せず、まずは専門外来に相談してみてください。
3) ”健康診断、人間ドックで甲状腺が腫れているという結果” であったが、どの病院のどの科に診てもらったらよいかわからない。
触診や胸部レントゲン・CT,頚椎のMRI、頚動脈の動脈硬化を調べる頚部エコー検査などで、偶然に甲状腺が腫大していたり、甲状腺腫瘤を指摘される場合があります。そのほかに、最近ではPET検査で甲状腺全体あるいは一部に異常集積が見つかり、甲状腺専門外来、病院の受診を勧められる場合もあります。甲状腺疾患が診断されても治療の必要がないことも多いので、そんなに心配はしないで専門外来を受診してみてください。まれに、甲状腺がんが診断されますが、小さいものが多く、治療結果も良好なことがほとんどで、この場合は健診などで偶然指摘されたことは幸運であったと思われます。
どこで診てもらえばよいかというと、きちんとした診断をしてもらうということでは、やはり甲状腺専門外来を受診するのが、二度手間を省く点でもよいと思います。甲状腺疾患で急を要する疾患はほんのわずかですので、慌てずにまず近くの本物の甲状腺専門外来を探してみるのがよいと思います。
4) ”甲状腺機能亢進症またはバセドウ病の診断でくすりを服用したところ、1ヵ月後にはたいへん調子がよくなったが、その後だんだん太ってきてしまい、くすりの副作用や経過に問題があるのかたいへん心配”。
バセドウ病の診断がつくと、メルカゾール、プロパジール、またはチウラジールという抗甲状腺薬が通常処方されます。ひと月ほどで過剰に分泌されていた甲状腺ホルモンが減り、手の振るえや動悸がおさまり、階段や坂道が楽に登れるようになるなど、くすりの治療効果が実感できると思います。ところが、このころからこれまで食べても食べても減少していた、あるいは増えなかった体重が増えてきます。特に女性の患者さんのなかには、この治療に伴う体重増加がくすりの副作用と思い、自己判断で服薬を中止して病状が悪化してしまうような方もみられます。
甲状腺ホルモンは細胞や器官の代謝を調節しています。過剰のホルモンは代謝を異常に高め、不必要にエネルギーを消費する状態となります。そのため、バセドウ病を発症するとお腹ががすき、どんどん食べるようになります。しかし摂取されたエネルギーはどんどん消費されるために、よく食べるのに太らないどころか、痩せる状態が生じます。治療により甲状腺ホルモンが正常化してくると、代謝も元の状態に戻り、エネルギー消費も正常になります。それまでと同じ食べ方であると摂取エネルギーが過剰となり、こんどは太ってくることになります。体重がある程度増加することはバセドウ病の治療では好ましいことですが、このころより上記のことを説明して、食事量を思い切って減らしてもらうように指導しています。しかしながら、太ることを気にせずにいくらでも食べてよい生活に比べて、あまり食べないようにすることがずっと難しいということはよく理解されることと思います。
ただしバセドウ病の治療でも、くすりの効果があり過ぎて、甲状腺ホルモンが正常より低下してしまうこともあります。この場合はいくら食べないようにしても、代謝が低くなっており、必要エネルギーが少なくてよいこともあり太ってしまいます。また、甲状腺機能低下症が高度であると、からだにむくみが生じてしまい、これも体重増加に働きます。いずれにしても甲状腺ホルモンを定期的に測定して、くすりを適切な量に調整することが必要です。
困ったこととして、甲状腺機能亢進症の原因について診断が異なっていた場合があります。甲状腺機能亢進症のいくつかある原因の多くはバセドウ病なのですが、炎症のため甲状腺が壊れることで甲状腺内に貯蔵していたホルモンが一気に血液に放出されて、一時的な甲状腺機能亢進症となる特殊な状態(破壊性甲状腺炎)ということもあります。この場合は1ヶ月ほどで甲状腺ホルモンが正常化しますが、炎症で壊れた甲状腺が回復するその後2ヶ月ほどは、甲状腺ホルモンが十分に産生されないので甲状腺機能低下症となります。この破壊性甲状腺炎をバセドウ病と診断されて甲状腺ホルモンの産生を抑える抗甲状腺薬が投与されている場合がときにみられます。破壊性甲状腺炎では甲状腺ホルモンが産生されない状態となっており、抗甲状腺薬の投与は意味がないばかりでなく、機能低下症をより悪化させてしまうので注意が必要です。この場合の体重増加はむくみが主体で病的なものです。
5) ”橋本病と診断されていたのに、突然甲状腺機能亢進症といわれ、2ヶ月後には今度はひどい甲状腺機能低下症といわれるなど、甲状腺ホルモンの状態が変化する” ことがありたいへん心配。
橋本病(慢性甲状腺炎)のある方に起こる特別な状態の無痛性甲状腺炎という病態があります。これは4)の後半で述べた破壊性甲状腺炎のひとつで、亜急性甲状腺炎という甲状腺に痛みを伴う破壊性甲状腺炎の病態に対して、痛みを伴わないということで無痛性甲状腺炎と呼ばれます。
橋本病による甲状腺機能低下症と診断され、甲状腺ホルモンのチラーヂンSを服用していたのに、急に動悸、発汗、体重減少など甲状腺機能亢進症の状態が出現、1ヶ月続いてようやく軽快したと思ったら、今度はこれまでのチラーヂンSの服用量では追いつかないほどの機能低下症となり、発症から3ヶ月ほどで元の状態にも戻ったという例が典型的です。また、橋本病の妊婦さんが出産1-3ヶ月後に、この無痛性甲状腺炎をときに起こすことはよく知られています。無痛性甲状腺炎をが起きた前半の甲状腺機能亢進症の1ヶ月間は、バセドウ病に比べると機能亢進症は軽いので、静かに生活するように心がけてもらえば大丈夫ですが、動悸がつらい場合はこれを少し抑える薬を処方することもあります。後半の機能低下症の時期は、必要により甲状腺ホルモンを補充すれば問題ありません。この無痛性甲状腺炎は繰り返すことがありますが、この状態は自然に元に戻ることを知っているとそれほど不安にならないと思います。
6) ”のどの違和感があり、耳鼻科でも、内科でも異常なし” といわれたが重大な異常がかくれているような気がして、のどにある甲状腺に異常がないかたいへん心配している。
のどの違和感、つまる感じ、なんどなくのどが痛むなどの症状を訴えて多くの患者さんが甲状腺外来を受診されます。実際は甲状腺疾患で痛みのある疾患はとても少なく(亜急性甲状腺炎、急性甲状腺炎、橋本病の急性増悪、のう胞性腫瘤の急速増大など)、大きい良性腫瘤はもちろん癌であってもの痛みはないものです。しかしのどの違和感そのものは甲状腺疾患とは直接関係なくても、この症状がきっかけとなって、甲状腺疾患が発見されることはよくありますので、一度は甲状腺専門医の診察を受けてみるのもよいと思います。耳鼻科(咽頭喉頭の異常)、上部消化管(逆流性食道炎など)、肺、心臓(狭心症など)、甲状腺に異常がないことがわかり安心したところで、のどの違和感は軽減し、気にならなくなる方も多いものです。それでもどんどんのどの違和感が強くなり、気になって生活に支障をきたす場合は、ストレスなど精神的に問題を抱えている場合があるので診療内科の受診をお勧めします。
7) ”かぜと思ったら、扁桃腺ではなくのど仏の横に痛みと硬いしこりができ、発熱、動悸、汗が多く、体重が減少するなど”どうなってしまったのか心配。
亜急性甲状腺炎という聞き慣れない病気があります。ウイルスが関係しているともいわれていますが、原因はまだ明らかではありません。かぜ症状のあとに、甲状腺の炎症が起きて、甲状腺(前頚部)が痛くなり、非常に硬くごつごつとしたしこりを触れ、そこを圧すとたいへん痛みます。通常左右の片方に起き、しばしば後に反対側に症状が移ります。この際38度を超える高熱を伴う場合もあります。炎症によって甲状腺が壊れることで腺内に蓄えてあった甲状腺ホルモンが血液中に放出されて、一時的な甲状腺ホルモンの過剰状態が起こります。このため、からだの代謝が急に亢進して(活発になりすぎて)、動悸、汗が多い、手が震えるなどの症状の出現や、エネルギーがどんどん消費されるために痩せてくることもあります。このような甲状腺機能亢進状態は炎症の消退にともなって自然に楽になります。その後は、逆に破壊された甲状腺が再生するまでは十分なホルモンが産生されずにホルモンが不足(甲状腺機能低下症)する状態となります。甲状腺のホルモン異常の程度と期間は患者さんによって異なりますが、一般的には数ヶ月で自然によくなり、硬く腫大した甲状腺も正常に戻ります。
実際の亜急性甲状腺炎の診療では、甲状腺の痛みが強いことや、専門外来を受診するまでの経過があまり好ましいものでないことも多いことから(頑固な上気道炎とされて消炎剤・うがい薬・抗生物質を投与されてもまったく改善しない; 硬い凸凹した甲状腺の腫大から悪性腫瘍と診断されて手術を予定されたなど)、患者さんの不安が強いため、直ちに治療を開始することがほとんどです。治療は軽い炎症と思えれば消炎鎮痛剤の投与ですが、通常は副腎皮質ステロイドホルモンを経口投与して甲状腺の炎症を強力に抑えます。ステロイド剤は亜急性甲状腺炎には驚くほどよく効きます。投与後1日から数日であれほどの頑固な甲状腺の痛みがうそのように消失し、硬く腫れていた甲状腺がみるみる小さくなっていきます。ステロイドは長期に服用することはなく、2-3ヶ月程度で中止できます。ステロイドと聞くと副作用が心配になるかもしれませんが、必ず徐々に減量してから中止する必要がありますので、症状がよくなったからといって勝手に中止するようなことは絶対にしてはいけません。血液中のステロイドが急に少なくなってからだの調子が悪くなったり、よくなっていた亜急性甲状腺炎が再び悪化することがあります。亜急性甲状腺炎が治癒してしまえば、一般的には再発しないとされています。
8) ”甲状腺がんと言われたが、小さいものなので経過観察でよい” といわれたが、がんなのに治療しなくてよいの?
甲状腺がんの大部分は乳頭がんといわれるタイプです。この甲状腺がんは一般に発育が非常にゆっくりです。大きさが1cm未満のものを微小がんと呼んでいて、10年、20年と大きな変化がないことが多いことが確認されています。患者さんがご高齢である場合、甲状腺以外の重大な疾患がある場合、若いひとでも腫瘍が5mm程度と小さい場合などで、遠隔転移や頚部リンパ節がない場合、最近では手術をしないで、6ヶ月程度で変化がないか経過を追うこともよくあります。もちろん腫瘍が増大してくる場合は手術治療をお勧めすることになります。また治療の選択にあたっては、患者さん自身の性格も重要です。上記の説明で、まず心配ないんだなととらえられる方は経過観察でよいのですが、自分が少数の増悪例であったらどうしようと心配で不安になってしまう方には手術をお勧めしています。
9) ”甲状腺の病気のために遠方の専門病院に通院していたが、とても通いきれない” のでどうしたらよいか?
きちっと専門医により診断がついていて、半年から1年に一度血液検査で甲状腺ホルモンが正常であることを確認すればよい状態(橋本病ではあるが現在甲状腺ホルモンが正常、バセドウ病で手術後やアイソトープ治療後でホルモン状態が安定しているなど)では、近くの先生にお願いして検査や薬をだしてもらってもよいと思います。しかし、バセドウ病などで甲状腺ホルモンが不安定な状態や甲状腺のしこり(腫瘤性病変)については、専門医が診療にあたるのがよいと考えられます。専門病院に通いきれなくなって放置されてしまい、甲状腺ホルモンの異常を抱えながら調子の悪い状態で生活している方や通院時にはわからなかった小さい甲状腺がんが長い経過で増大してしまっている患者さんもときどきみられます。最近では甲状腺の専門医も増えてくるはずなので、無理なく通えるところに甲状腺専門医がいないかどうかをよく探してください。専門医なら今後の甲状腺の状態を推測できるので、可能な限り長期の通院間隔を考えてくれるはずです。甲状腺腫瘤性病変では、これまで述べてきたように一般的な外科的常識とは異なることもあるので、甲状腺外科の専門医(日本内分泌外科学会が、内分泌・甲状腺外科専門医を認定しています)を探すのがよいと思います。
10) ”甲状腺腫瘤やバセドウ病の手術を勧められているが、合併症のはなしを聞いて怖くなってしまった。” 甲状腺の手術はそんなに難しいの?
手術であれば、 どこの臓器の手術であっても、麻酔をかけることによるリスクと手術操作による合併症のリスクを伴います。甲状腺疾患もこれらのリスクのことを考えて、手術治療がよいかどうかを検討します。まず手術が先にありきでは困りますが。
一般的な手術の合併症やリスクに加えて、どういう種類の甲状腺手術においても、甲状腺特有の手術合併症が起きる可能性があります。しかし甲状腺専門医が手術を担当すれば、不必要な合併症はまず起こりません。しかし、病状によって仕方のない場合や専門医が担当しても合併症が0%という訳にはいきません。
甲状腺手術に特有の合併症についてお話します。怖いはなしも書いてありますが、以下のような事態になる可能性を患者さん側というより、医療側が充分理解して診療にあたっているかどうかが大切なことと思います。
まず、1)術後出血による呼吸困難です。甲状腺のまわりには、腹部臓器や肺のように周囲に空間がないので、比較的少量の出血でも、貯留した血液が頚部の静脈を圧迫して声門にうっ血や浮腫を起こして、空気の取り入れ口が狭くなり、息を吸うことが困難となることがあります。放置されれば窒息してしまうこともあります。まず緊急処置として頚部の創を開放して圧迫をとれば、呼吸は楽になります。その後出血部位を確認して止血処置を行います。
つぎに、2)声帯を動かす筋肉を支配する反回神経の麻痺があります。声帯は左右あり、発声だけでなく、息を吸うときに’ハの字’の形に開いて気管に空気を取り込ませますが、反回神経が麻痺すると声帯は中央で固定して動かなくなります。片側の反回神経麻痺であれば、声がかすれて、水分を飲むときにむせ易くなりますが、呼吸することには問題ありません。しかし、両側の反回神経麻痺では声帯が中央で固定してしまい、空気の取り入れ口を塞いでしまうために息を吸うことができなくなってしまいます。この場合は緊急に息が吸えるように気道を確保しないと窒息してしまいます。手術直後の手術室で起こる時はすぐに対処できるのですが、実際には病室にもどって数時間、あるいは夜間に生じることもあるため、手術当日は厳重な監視が必要で、すぐに対処できる状態にしておかなくてはなりません。
直接命には関わりませんが、3)術後の副甲状腺機能低下症の問題があります。甲状腺の裏に左右上下の4つの米粒程度の副甲状腺という臓器がくっついて(埋まって)おり、血液中のカルシウム濃度を上げる作用がある副甲状腺ホルモンを分泌して、他のホルモンと協調しながら血中カルシウム濃度を厳密に調節しています。甲状腺亜全摘術や、甲状腺全摘術では副甲状腺が甲状腺と一緒に切除されてしまったり、残っていても血流障害で機能が低下することで、血液のカルシウム濃度が下がり、手指のしびれやテタニーといって筋肉がつっぱってしまう症状がでることがあります。このような場合は血液のカルシウム濃度を保つために、活性型ビタミンD3やカルシウム製剤を服用する必要があります。一時的で機能が戻る場合もありますが、生涯これらのくすりを服用する必要のある場合もあります。
最後に、4)術後甲状腺機能低下症です。 甲状腺亜全摘術や全摘術によって甲状腺の量が少なくなってしまうために十分なホルモンを産生できない状態となったとき生じます。この場合は生涯、甲状腺ホルモンをくすりとして補充しまければなりません。甲状腺の手術をする場合、手術手技の熟練度だけではなく、命に関わるような術後合併症が起きる可能性を意識して管理しているかどうかがもっとも大切なことと思われます。
手術治療がそのリスクを考えても、その患者さんにとって最もよいと医療者と患者さんが考えるとき、手術治療が選択されるものです。甲状腺の腫瘤性の病変では、がんがきちんと診断された場合は手術を勧められて迷う方は少ないでしょう。しかし、甲状腺の良性腫瘤に対しては手術による合併症のリスクを超えた利点があるべきです。一般的な臓器の腫瘤と異なり、”もし悪性だったらどうしますか”ということだけで甲状腺良性腫瘤を手術しましょうとは、甲状腺外科専門医は勧めないと思います。
バセドウ病の手術は甲状腺亜全摘術といって、4g程度を残して甲状腺の大部分を切除するものです。間違いなくよい治療法のひとつではありますが、ひとことで術式を簡単に説明できるのとは違って、うえに述べた甲状腺手術の一般的な注意に加えて、独特のコツと経験が必要で、バセドウ病の手術はむしろ難しいものと私は思っています。バセドウ病については、くすり(抗甲状腺薬)、手術、アイソトープのどの治療法がよいかは慎重に検討する必要があります。患者さんの病状やその経過だけではなく、生活様式、生活場所、性格・生活態度なども治療法選択の重要な要素となります。
11) ”バセドウ病と診断されて、手術やアイソトープ治療を勧められたが、くすりの治療ではだめなの? 逆に、くすりではなく、手術やアイソトープ治療を受けたい希望があるのだけれど”、 どの治療を選んだらよいの?
バセドウ病の治療には、抗甲状腺薬(バセドウ病の治療薬:メルカゾール、チアマゾール、プロパジール)、手術(甲状腺亜全摘術)、アイソトープ治療(放射性ヨード131Iの投与により、放射能によって甲状腺細胞を障害)があります。バセドウ病の治療の目的は、いずれの治療手段であっても、甲状腺ホルモンを正常にすることです。多くの医師は抗甲状腺薬の投与によって、まず過剰である甲状腺ホルモン分泌の正常化を試みます。良好な経過の例としては、はじめ多目(1日6錠~から)に投与し、甲状腺ホルモンの改善にともなって薬を減量、少量の維持量を1年ほど投与し、正常の機能を保ち、バセドウ病の活動性も弱くなるようでしたら、薬を中止してみます。甲状腺ホルモンが正常を維持する状態を寛解といいます。薬で治療を始めた患者さんの約3割はこのような経過をとるのですが、少量の薬を飲み続けないとホルモンが高くなってしまう患者さんもいます。また、抗甲状腺薬には少数の患者さんにですが、副作用が存在します(発疹、肝機能障害、無顆粒球症:白血球の一種で細菌を攻撃する好中球が突然消失してしまう状態など)。この場合、抗甲状腺薬は使用できないので、手術かアイソトープ治療を選択する必要があります。副作用がなく、甲状腺ホルモンが正常を保って外来での調整が容易である場合(コントロール良好)は、抗甲状腺薬の治療を続けていくことで何の問題もありません。コントロールが良好で、くすりも少量で維持できる患者さんの外来通院期間は3ヶ月程度も可能です。しかし、甲状腺ホルモン値が不安定で、その都度薬の量の変更が必要な場合は、1-2ヶ月の通院が必要となります。バセドウ病の患者さんは、社会的に仕事の担い手である若年者も多く、できるだけ通院により生活が制限されないことが望ましいことは明らかです。そこで、抗甲状腺薬でのコントロールが良くない患者さんでは、手術やアイソトープ治療を受けていただくほうが、長い目でみると疾患の治療に関して患者さんの生活への負担が減ることも考えられます。抗甲状腺薬の服用で安定しているものの非常に長い経過となっている患者さん、また早く安定した状態をつくりたいと希望される患者さん(仕事の関係で異動が多い、海外転勤があるなど)については、手術やアイソトープ治療を検討してもよいと思います。ただし、手術やアイソトープ治療を受ければ必ず甲状腺機能が正常化するという訳ではありません。最近では、これらの治療後の再燃(再発)では、再び抗甲状腺薬での治療が必要となるため、切除する甲状腺量を多くしたり、投与アイソトープ量が検討され、むしろ甲状腺機能が低下しても再び高くならないように配慮している施設も増えてきました。甲状腺ホルモンの分泌が少なくなってしまった場合、甲状腺ホルモンそのものを薬(チラーヂンS)として服用する必要がありますが、バセドウ病の抗甲状腺薬に比べて、くすりの副作用はほとんどなく安全です。またバセドウ病の機能亢進症と違って、機能低下状態ではチラーヂンSの投与量は大きく変化することはないので、6ヶ月の長期投与も普通に行われます。このほうが、生活の安定という点でははるかによいと思われます。しかし、患者さんによっては、甲状腺のホルモンが不足してしまうことにとても不安を感じている場合もあり、診療している側との感じかたの違いがあることをときどき感じさせられます。よく相談して、納得して治療を受けていただくことが大切です。
12) ”バセドウ病、橋本病 (慢性甲状腺炎)と診断されて、治療しているけれど、いつまで治療が必要なの?”
バセドウ病と橋本病では、必要な治療することで甲状腺機能(ホルモン)が正常化していれば、日常生活にはまったく問題はありません。治療により、あるいは自然の経過により治療の必要が不要になることもよくみられます。その後生涯にわたり甲状腺ホルモンが正常の場合は治ったと同じことになるのですが、バセドウ病と橋本病は慢性の疾患であり一度発症すると疾患の状態は続いています。そのため甲状腺ホルモンが再び異常となる可能性があるので、安定していても1年に1回は甲状腺ホルモンのチェックが望ましいと思います。定期的に経過をみていれば再燃しても軽度の状態で治療が開始できるため、症状も軽く、安定するまでの期間が短くで済みます。
13) ”甲状腺の病気があると、妊娠出産に問題があるの?”
どのような甲状腺疾患であっても(個々の疾患について注意点はあるものの)、要は甲状腺ホルモンが正常であれば、妊娠・出産に関しては影響ありませんので安心してください。しかし、いくつか注意することもあるので、以下にあげておきます。
妊娠初期には甲状腺ホルモンの必要量が増すので、橋本病、術後、アイソトープ治療後などで甲状腺機能低下症の方は、チラーヂンSを服用している方では、くすりの増量が必要なことがあります。また現在チラーヂンSを服用していなくても、妊娠によって補充療法が必要になる場合がありますので、妊娠初期には甲状腺ホルモンをチェックするのがよいと思います。
バセドウ病では、一般に妊娠中には病勢が落ち着く傾向があり、抗甲状腺薬を服用している場合は服用量が減ることがよくみられます。同じ量のくすりを服用していては甲状腺機能が低下してしまうことがあり注意が必要です。2011/12日本の研究でに、2種類ある抗甲状腺薬のうち、メルカゾールの妊娠初期の服用と胎児の奇形発生との関連が報告がされたため、可能ならメルカゾールから、チウラジール・プロパジールへの変更が望ましいとされました。バセドウ病の原因である異常な甲状腺刺激抗体TRAb(TSHレセプター抗体)が非常に高値である場合、この抗体が胎盤を通って胎児の甲状腺を刺激してしまうために、まれではありますが、生まれた新生児がバセドウ病と同様な甲状腺機能亢進症状を一時的に示す場合があります。バセドウ病の方は、TRAbの値に注意が必要です。
出産後については、出産は女性にとって強いストレスであるために、出産後にバセドウ病が発症したり、増悪することがよくみられます。また、橋本病のある方では、出産後2-3ヶ月に無痛性甲状腺炎を起こして、急激な甲状腺ホルモンの変化をきたす場合もあるので、育児の疲れだと決め付けないで、産後の数ヶ月での甲状腺ホルモンのチェックをお勧めします。
14) ”甲状腺疾患の治療に使うホルモンのくすりの副作用は大丈夫?”
多くの患者さんにとってはホルモンのくすりと聞くと、ステロイドホルモンや女性ホルモンのようにその副作用がとても心配になるのは当然のことと思います。甲状腺機能低下症で服用するチラーヂンSは合成されてはいますが、甲状腺から分泌されるホルモンとまったく同じものです。投与量が適切であればほとんど全くといってよいほど副作用はみられません。また、ほとんどの市販のくすりの注意書きに甲状腺機能異常のある方は服用できないかのような記載がありますが、チラーヂンSを服用していて甲状腺機能が正常となっているので一緒に服用しても全く問題はありません。
15) ”自分はバセドウ病ですが、娘もバセドウ病になるのですか? 甲状腺の病気は遺伝するの?”
バセドウ病や橋本病では、明らかな遺伝は通常ありません。複数の遺伝子異常が関係しているものと考えられ、現在原因遺伝子の検討がされていますが、まだはっきりとはしていません。家族・親類内に患者さんが極めて多い場合は、生まれてくるお子さんにバセドウ病や橋本病がでてくる可能性は強いと考えられます。これは家系内では同じ遺伝子型をもつこともありますが、生活の環境的な要因も似ていることも関係すると思われます。もともと橋本病は抗甲状腺抗体の血液検査では、15-20人にひとりくらい異常があるほど頻度が多いことや、家族内に疾患が多い場合は通常より積極的に診察を受けることも考えられます。どんな疾患でもまれに遺伝するタイプがありますが、甲状腺疾患ではきわめてまれです。甲状腺疾患の遺伝については問題ないと考えてよいと思います。
16) ”甲状腺が少し大きいだけなので、心配ない” といわれたが、大丈夫なの? 今後どうしたらよいの?
甲状腺の専門医が少し大きいだけという場合は、触診で確かに甲状腺を触知するものの、血液検査で甲状腺機能(ホルモン)が正常で橋本病やバセドウ病の所見がなく、甲状腺エコーでも腫瘤がない状態をさしています。正確には、単純性びまん性甲状腺腫と診断されます。単純性とはホルモンが正常、びまん性甲状腺腫とは全体的に甲状腺が腫大していることを意味しています。これは単に甲状腺が少し大きいだけのこともありますが、経過をみているうちに甲状腺疾患が発症してくる場合もあるので(橋本病がもっとも多く、バセドウ病や経過で腫瘤がはっきりして腺腫様甲状腺腫が診断されるなど)、年に1回程度の定期的な甲状腺のチェックをお勧めします。
17) ”甲状腺の病気があると、ヨウ素、ヨードを摂ってはダメ、海藻を食べてはダメ?” と本や週刊誌に書いてあったけれど、本当なの?
ヨード(ヨウ素)は海藻類に多く含まれ(昆布、ひじきなど)、また和食(昆布だし)、カップめんなどいろいろな食品にも含まれています。ヨードは甲状腺ホルモンの材料なので、食事から吸収されたヨードの殆どは甲状腺細胞に取り込まれます。患者さんのどうしの話で雑誌や本に ”甲状腺疾患のある人はヨードはまったく食べてはダメ” と書いてあったということで、海藻は全く食べない(たとえば、おにぎりののりを剥がして食べるなど)という患者さんがいます。日本は海に囲まれていることもあり、ヨードを全く摂取しないということは極めて難しいと思われます、また逆にヨード不足ということも考えられません。通常は極端にヨードを制限する必要はありません。アイソトープという特殊な検査が必要であったり、橋本病の方で少しホルモンが低下傾向となっているが、なるべく薬を服用したくないときには、ヨード摂取の制限をする場合があります。しかし、一般的には過剰に摂取しないようにする、あるいはヨードを多くとるように心掛けないということで、なんでもおいしくいただくのがよいと思います。
甲状腺機能亢進症を大量のヨード剤投与で治療することもありますが、ヨードを過剰摂取した場合の反応は一様ではなく、まだはっきりしていないこともあります。甲状腺に疾患のない方でも、ヨードの過剰摂取によって(寒天ダイエットや健康によかろうということで根昆布水の連日飲用など)、甲状腺ホルモンが高値になることがときにみられます。 この場合は寒天や根昆布の過剰摂取を止めれば甲状腺機能が正常化します。
18) ”甲状腺がんで手術をしたけれど、甲状腺がんは性質がよいと聞いたので、もう放置してよいのですか?”
甲状腺がんにはいくつかの種類(組織型)があります。甲状腺がんの9割以上は乳頭癌、次にろ胞がん(5-6%)、まれなものに髄様がん、未分化がんがあります。通常甲状腺がんといわれた場合は、乳頭がんかろ胞がんで、これらは大部分は発育が遅く、おとなしい経過をとり、生命にかかわるようなことは少ないといえます。おおざっぱにいえば10人に9人は心配がいりません。一般的ながんの術後は5年間、再発や転移がなければ治ったといわれますが、甲状腺がんは発育がゆっくりであるために10年、20年たっても再発や転移をしてくることもあります。再発、転移をしてくるかどうかは、手術時の所見、腫瘍の組織の悪性度などである程度予測することができますが、転移・再発の危険が少ないといわれた方でも、年に一度の専門家によるチェックはうけるほうがよいと思います。というのは、他の臓器のがんでは、再発転移した場合、つぎつぎに新しい治療が登場し、治療効果が報告されていますが、残念ながら生存期間は延長してもいづれそのがんで亡くなってしまうことがほとんどです。しかし、甲状腺がんの再発転移の場合、再手術、アイソトープ治療などで長期に押さえ込めることが可能な場合が多く、また頚部再手術によりその後の再発を認めない場合も多くあります。また肺転移に対するアイソトープ治療が非常に良く効き肺転移が消失してしまう例もまれではありません(もちろん、残念ですが再発転移をされた方のなかから亡くなる例がでできます)。つまり甲状腺がんでは、再発転移した場合でも、治ったと同様な状態にもっていくこともよくあるので、定期的な検診を受ける意義はあると考えられます。
19) ”バセドウ病で手術したのに、また甲状腺機能亢進症、あるいは甲状腺機能低下症になってしまった。” 手術がうまくいかなかったのでしょうか?
バセドウ病の手術は甲状腺亜全摘術といって、甲状腺の大部分を切除して小さくしてしまいます。このためバセドウ病による異常な甲状腺刺激が加わってもホルモンをつくり過ぎないようにするというものです。残す甲状腺量をどの程度にするかは、治療の目標によって異なります。多目に残せば甲状腺ホルモンが高いまま、あるいは再び高くなる人の割合が増えます。逆に少なめに残せば、甲状腺ホルモンが低下してしまう人の割合が増えることは想像がつくと思います。では、どの程度の甲状腺を残せばよいのでしょうか。難しい問題です。甲状腺機能亢進症を再発させたくないと考えれば、ほとんどの甲状腺を切除します。
20) ”甲状腺疾患でくすりを長い期間服用しているのに、いまだに2週間、1ヶ月ごとに来院するように指示されています。もっと間をあけた診察ではいけないのでしょうか?”
甲状腺疾患にもよります。
1)橋本病やバセドウ病のアイソトープ治療や手術後でホルモンが不足(甲状腺機能低下症)しているために、甲状腺ホルモン(チラーヂンS)を補充している方は、通常甲状腺ホルモン状態の変動は少なく、安定しているので、外来通院の間隔は長期が可能です。この外来では見極めがついた場合、最長、半年の間隔で診ています。もし体の不調、体重の増減、甲状腺腫の増大がある場合は早めの来院をお願いしています。
2)バセドウ病で、抗甲状腺薬(メルカゾール、チウラジール、プロパジール)を服用している方については、1)の場合とは異なり、ホルモン状態の変動に応じて薬の量を調整する必要があります。このため、半年の長期の外来受診間隔は難しいと思いますが、安定していれば3ヶ月ほどの間隔でみている患者さんも多くいます。診察しているDrが、個々の患者さんについて先を予想し、安全と思える範囲で通院の間隔を決めています。